I'll forget you, You'll never forget me.




「ねえ、魔法をかけてあげよっか?」

「魔法?」

「うん、この先お互いに幸せでいられる魔法……」



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そもそも彼女との出会いは県の中心都市にある大学病院だった。

検査の結果待ちをしている間に話しかけられた。


「ねえ、君は、何でここに来たの?」

「……病気だから、じゃないですかね」

「正解」

「クイズだったんですか?」

「違うの?」

「……何だか理不尽な気分です」



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「そんなことしなくても、今僕達は幸せじゃないですか」

「刹那的ね。私と一緒だとそんなに平和ボケするのかしら」

「僕はあなたと出会う前から平和ボケしてましたよ」

「話しかけたのはあなたが賢そうだったからなんだけどなあ」

「そのときは確かに賢かったのかもしれませんね」



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出会ってすぐ、僕達は付き合うようになった。単純に彼女とは馬が合ったのだ。

場所は病院の中庭。理由はお互いに都合が良かったから、という一点のみである。


「ねえ」

「どうしました?」

「結婚とかってした方がいいのかな?」

「僕は構いませんけど、もし早死にするならなるべく無駄にお金を使いたくはありませんね」

「年とってからの結婚式か、それも素敵ね」

「費用は年金からですね」

「でもそれだと招きたい人が死んじゃってたりしてヘコまないかなあ」

「もしもの話ですよ」

「それもそうね。さ、ご飯食べに行きましょ」

「切り替え早いですね」



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「……ねえ」

「何ですか?」

「結婚式、挙げれないんだよね」

「こんな状況じゃ、そもそも結婚して一緒に生活するなんてことも出来ないでしょうね」

「……ドレス、着てみたかったなあ」

「僕はてっきり着物を着てくれるものだと思ってたんですが」

「もう、意地悪」



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「僕は」

「?」

「何をしたらいいんでしょうか」

「じゃ、キスしてよ」

「ムードの欠片もないですね」

「冗談よ。で、さっきのはどういう意味?」

「こうしてあなたと中庭にいると、ただ生きてるだけでいいのかなって思えてきて」

「私じゃ不満?」

「そういう意味じゃないです」

「……ま、やりたいことやればいいよ。そんな気負わずにさ」

「僕は、僕が生きていた痕跡を残したいんです」

「何か意味のある人生を送りたい、ってことね」

「それが出来そうもなくて困ってるんですけどね」

「うーん、気にする必要はないと思うよ。どうせ忘れちゃうんだしさ」

「……自分も他人も、ですか」

「そゆこと」

僕が彼女と出会ってから1ヶ月後のことだった。



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「…検査の結果は正しいのね?」

「もらった紙、見ますか」

「いいえ、自分のでお腹一杯よ」

「今でも見返したりするんですか?」

「夢オチって可能性もあるかなって」

「それで現実に打ちのめされるって訳ですね」

「正解」



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ある日のこと、彼女がやけに深刻そうな顔で話しかけてきた。

「私の病状、そろそろ悪化し始めるみたい」

「時期なんて分かるんですか?」

「一昔前よりは医療も大分進歩したのよ」

「…完治には至っていない癖に、予測だけ出来るようになってもって感じですけどね」

「『そう言いながら俺は拳を握りしめた。人一人の命も救えなくて何が医療だ。そう思うとやり場のない怒りが』」

「勝手に僕の心理描写をするのはやめてもらえますか」

「でも大体合ってるでしょ」

「『彼女は快活にそう言った。僕をからかうことが根っからの楽しみのようだ』」

「それ間違ってない? 結局あなたの地の文になっちゃってるわよ」

「……すいません、何か間違えました」


冗談を交わす内に彼女の表情は先程とは程遠い楽しげなものになっていく。

彼女が侵されている病の名は若年性アルツハイマー。予想される主な症状は記憶障害だ。



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「……君を忘れたくない」

「病気なんだから仕方ないですよ」

「私はそんな簡単に割り切れないから」

「……」

「ねえ、ここで私達の付き合いは終わりにしましょう?」

「何で、」

そんなことを、と言おうとした。彼女は泣いていた。

「私はあなたのことを忘れるかもしれない。けどあなたは私のことを忘れちゃだめ」

「そんな我が儘な」

「いいじゃない、私の最初で最後の我が儘よ」

「もし僕があなたより先に死んだら?」

「許さないわ。きっと地獄行きね」

「……どういう理屈なんですか」

「我が儘だもの、理屈なんて最初からないの。それに、あなたはこれからの医学の進歩に期待出来る時間がある。私にはないの」

「あなただってそんなすぐ死ぬ訳じゃない! だから…」

そんな悲しいこと、言わないで下さい。

「私だって死にたい訳じゃない。さ、もう終わりにしましょう」

「そんな……」

「言ってなかったけど、私は結構病気が進んでるの。あなたの名前も、ふと思い出せなくなる時がしょっちゅうよ」

「……」

「……じゃあね。同じ病気仲間として、今まで楽しかったわ」

そう言って、彼女は永遠に僕の前から姿を消した。



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彼女が死んで3年が経った。

結局、僕の病気は医学の進歩とやらで完治した。途中酷い記憶障害に見舞われたが、何とか乗り切った。

彼女の言葉が脳裏を過ぎる。

「『人一人の命も救えなくて何が医療だ。』」

あれは予言か何かだったのだろうか、との考えに至ってふと笑みがこぼれる。


僕達が別れることで、本当にお互いに幸せになったのだろうか?

彼女は余計なことをさっぱり忘れて死ねたのかもしれない。僕は彼女の分まで生きてやろうと努力した。

でも僕は、二人で一緒に病に立ち向かう、そんな選択肢もあったんじゃないかと思う。

それは魔法みたいに小綺麗なものじゃなくて、もっと歪な形をした何かだったろう。

でも、それを乗り越えられたなら……そう思えて仕方ない。

例えそれが到底不可能な難題だということを知っていても。



彼女の魔法はまだ効いている。僕はこれからも決して彼女のことを忘れないだろう。






*後書き





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