Broken Time




初夏。
唐突に、激しい雨が私を襲った。こうなった時には、近くにある飲食店に駆け込むのが定石だ。この街は案外広いのだが、路地などの造りは分かりやすくなっている。
そのためか、探し始めてから程なくして木造の喫茶店が見つかった。少し古ぼけてはいるが、気にしている暇もない。看板には喫茶店「ブレイクタイム」とあった。
私は金属製の取っ手を掴み、古めかしいドアを開けた。

「いらっしゃいませ」

若い、女性の声だ。
店内は、外の空模様と比べると明るい。客はざっと十人程度。どちらも、その少し寂れかけた外観からは想像出来ない。それなりに人気のある店のようだ。
ぽつりぽつりと置かれている装飾の品も、それなりに値の張りそうなものばかりだ。
観察行為に耽っていると、店主と思わしき老人が、直々に注文を取りに来た。

「ご注文は、何に致しましょうか」

ただ雨宿りに来ただけなので結構です、などとは口が裂けても言えまい。無礼千万だ。
とは言っても、今持ち合わせている僅かな金でちゃんとした食事をする気にもなれない。私は、体の温まりそうなスープを適当に頼むことにした。

「何か温かいスープを、適当に」

「今すぐお持ち出来るのは不断草のスープとなっておりますが、よろしいでしょうか?」

ふ……何と言ったんだこの老人は。およそ聞いたことのない名前だ。いくら適当にといってもこれには少し逡巡してしまう。

「ええ、そのフダンソウのスープとやらを」

「かしこまりました。お飲みものは如何致しましょうか?」

店主が何かをやんわりと訴えるような目をして言う。
機会があればまた来るかもしれないので、一応ここの喫茶店のコーヒーの味を知っておこう。

「じゃあ、ウインナコーヒーで」



その日から、私はその店に入り浸りになった。そう遠い場所でもないし、何よりここのコーヒーとスープが絶品だからだ。
時間があればすぐに此処へ来て、暇潰しに買ってきた文庫本を読みつつ、コーヒーを嗜んでいた。
そしてしばらく経ったある日、私は店主と話す機会を得た。どうやら客が少なく暇を持て余していたらしい。

「お客さん、いつもそのセットですよね。そんなに気に入りましたか?」

「ええ、とても。ところで、不断草とは一体何なのですか?」

「企業秘密です」

「そうですか。それにしても、この喫茶店には高そうな置物が多い気がするんですが」

「ふふふ。実際に高いのは一つだけですよ」

「本当ですかねえ……それで、一番高いのはどれなんですか」

「ほら、そこにある……銀細工の砂時計ですよ」

店主の指さした先には、少し小さめの、かなり精巧な砂時計があった。
まるで陽炎の下の雪原のように輝いていて、太陽、月、そして星をモチーフにした装飾があしらわれていた。
銀細工と言ってもガラスの部分が多く、ぞんざいに扱ったらすぐにでも壊れてしまいそうな品に見えた。何か歴史のある品だろうか?

「これは…凄いですね。何処で手に入れられたのでしょう?」

「まあ……友人の、形見みたいな物です」

店主の目は、僅かな愁いを湛えていた。

「大事な、物なのですか」

「ええ、とても」

彼は先程私が口にした言葉を真似して返し、そして寂しげに言った。

「……時間は、私がどんなに後悔しようとも、決して戻ることはないんです」

「なんとなく、分かる気がします」

「そうですか。……私はね、こうやって店にいる間は時間の流れを忘れることが出来るんですよ」

「……」

「この店の名前も由来しているのかもしれませんね」

「……名付けたのはマスターではないのですか?」

「いいえ。私はとある友人からこの店を任されただけですよ」

「……」

これ以上聞くつもりには、到底なれなかった。



翌日。いつものように喫茶店に来てみると、昨日あったはずの砂時計がない。そして店主もいない。
通り掛かったアルバイトの店員に聞いてみた。

「あー、マスターは今日は休むと言っていました。所用があるようで」

「そうですか……。それともう一つ、そこにあったはずの銀の砂時計が無くなっているようなんですが」

「あー……。それ、あたしが昨日帰りがけにうっかり落として割ってしまいまして…。マスターは許してくれたのですが」

「……そうですか」

「あの、あたしやっぱりとんでもない事をしてしまったんじゃ……」

いやいや、私に言われても。とりあえず、

「気にすることはないさ。あの人が所用と言ってるんだから所用なんだろう」

と適当に彼女をなだめ、店を後にした。



それからというもの、あの喫茶店へは行っていない。まだ続いているかもしれないし、潰れているかもしれない。
何故、私が喫茶店を訪ねなくなったのかは自分でもよくわからない。ただ、店主がもうあそこに戻ってこないであろうことは何となく察していた。確証は持てないが。


ある日、気が向いたので不断草について調べてみた。スイスチャード、テーブルビートとも呼ばれるらしく、赤蕪の一種らしい。
ある程度季節に関係なく、絶えることなく採れるから「不断草」と言うそうだ。
私はそこに、ある種の因縁めいたものを感じた。


時間は、砂のように絶え間なく流れている。彼は、何を思いあの喫茶店を受け継いだのだろう。全ては、闇の中だ。
私は、いくら年月が過ぎようとも、彼の事をきっと忘れないだろう。この出来事は、何か大切な事を私に教えてくれた気がする。


早すぎる流れに疲れた者達が集い、休憩する場所、「ブレイクタイム」。ひっくり返せば、また始まる。三精が巡る。



空を見上げた。星達が輝き、瞬いている。
私は、あの砂時計をもう一度だけ見てみたいと思った。






*後書き





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